今年は『土用の丑』が早かった精で、7月31日に『二の丑』がありました。
むかし、『ウナギ』はめったにお目にかかった事が無く。(高級料理の為)
今から、約40数年前。(高校時代)友人の紹介で、夏休みにウナギ屋(東区)でアルバイトをする事になった時の事です。
最初は、店での接客と出前でした。この出前も10数人分の丼となると、結構キツク(当時は自転車です。)まして登り坂になると泣けてきました。
又、空き時間には、俵に入った備長炭をひとつづつ割って適当な大きさにしたり、タレを一人前づつ醤油差しに小分けしたり、竹串も作ったりしました。
そして、定休日には、大将はタレの煮込みである。陶器製のデカイ器で『刺身醤油』に『ザラメ』『ミリン』等をふきこぼれないように弱火で…、この作業は常に目が離せません。(タレの作製は秘密で誰にも教える事はありません。)このタレを少しずつ足していって、現在のタレが出来たのです。(大将が最も大切にあつかった『しろ物』です。)
しばらくすると、大将に教えてもらい、火床(ヒドコ)でウナギの焼きです。(実はこの焼き加減がウナギの命です。)
炭の位置・ウチワの力加減等、ただえさえ暑い所でしかも直火で50℃を越える場所です。(汗、汗、汗・・・(:.;゚;Д;゚;.:) )
最後にウナギ料理です。ただでさえつかむのが困難なしろものに、頭(目のあたり)に目くぎを打ちまな板に固定します。特別な形をした包丁で頭から尻尾にかけていっきに腹側をさき、肝と親骨を取り除きます。(目の悪い人が。生肝だけ食べに来る人もいました。)何度、左手の親指を切った事やら…。
そして、串に最大4匹まで打ち焼く準備の完了です。
下の写真は以前ブログに載せた、浅野屋のメニューです。
工務店が造る外断熱「共和の家」
(現場 森 俊二)