こんにちは、共和木材工業です。
昭和22(1947)年に製材会社としてスタートした共和木材工業。当時専務として会社設立に関わったのが、現 代表取締役会長・糸魚川行吉、豊実兄弟の祖父でした。
それから78年。現在は製材と住宅の二本柱で、日本の木の素晴らしさをみなさんにお伝えしています。
共和木材工業が注文住宅をつくるまで
設立後、木曾谷の豊富な資源の恩恵を受けながら業績を伸ばした共和木材。やがて祖父のあとを受け継いだ父が社長になり、兄・行吉は修行のため東京の材木問屋に4年間勤め、戻ってきました。ところがそのわずか1年後に、社長である父が亡くなってしまいます。行吉は若干28歳であとを継ぐことになりました。
「製材はギャンブル」といわれるほど木の目利きは難しく、よい木を見分けられなければ大損をしてしまうことも。そのことを胸に行吉は修行中に木を見る目をしっかり鍛え、父なきあとも「自分の木を見る目は絶対」という自負が自分と会社を支えました。
一方で、時が経つほどに木材市場は厳しくなります。たくさんあった坂下町の製材業者はひとつ、またひとつと減っていきました。安価な外国産材に押されて国産材が売れないことに加え、よい木を使って家を建てようとする人が減っていることが要因と行吉は考え、共和木材の中に建築部を設けることに。
産地直送の木を使い、香り・質感・丈夫さどれをとっても一級品の木の家をつくることで、日本の素晴らしい木の文化を存続させるための一助になりたいと願いました。今から40年前のことです。
「愚直なほどに丁寧」な共和の家づくり
共和木材に建築部を立ち上げたことをきっかけに、名古屋の建築会社に勤めていた弟・豊実が帰ってきます。建築のノウハウを熟知した信頼できる人間が建築部の責任者となったことは、これからの共和木材にとって心強く、躍進の後押しとなりました。
祖父の代から続く製材業に触れ、身近に感じてきた兄弟の木への愛着は人一倍。豊実は木をふんだんに使い、土壁を塗った本格和風建築に取り組み始めました。
木曽の山々に囲まれ、真面目に正直に生きることが根付いた土地柄から、兄弟の仕事は愚直といわれるほど丁寧。
「共和の家はしっかりしている」「共和ならば間違いない」という評判は、すぐに定着していきました。
~後編に続く~
「共和木材の歩み」について、こちらもぜひご覧ください。
https://www.kyowawood.co.jp/co_navi/lTk20140825112723-206.html
完成写真や建築中の動画を更新しています |
イベント情報、建築中の動画など更新中!お気軽にフォローお願いします |
工事中の動画など更新しています |
家づくりの情報など更新しています |
お友だち募集中です