先月、大改修を終えてオープンしました「姫路城」。
実は、昭和の大修理の時にここ中津川市も大きく関わっていました。
どんな風に関わっていたかと言いますと、まずは、あらすじをお読み下さい。
『運命の木 -姫路城の大柱-』あらすじ
昭和31年、老朽化が激しく崩壊の危機に直面した姫路城で「昭和の大修理」が始まった。
姫路城の大天守は東西の二本の大柱に支えられていたが、西芯柱は内部が著しく腐食していた。そこで、日本全国で大ヒノキ探しが始まった。
そんな中、条件に合う大ヒノキが兵庫県市川町の笠形神社で見つかった。それは御神木で地元住人が代々大切に守ってきたもの。
猛反対されたが説得の末「姫路城の心柱として大切にしてもらえるなら」と伐ることが許された。
しかし、その御神木は上部に反りがあり条件に合わないことが分かり、再びヒノキ探しが始まった。一年以上たって裏木曽(現中津川市)の山に大ヒノキを発見した。
裏木曽の大ヒノキは反りも無く、これで姫路城が修復できると思われたが、搬出の際に落下して折れてしまい、芯柱として使えなくなってしまった。
芯柱の材料が見つからないことで、工事はストップしていたが、反りのある御神木と折れた大ヒノキをつなぎ合わせることが提案され、二本の木は姫路城に運ばれた。
御神木を譲る決断をしてくれた地元の氏子。雪が残る奥深い裏木曽の山中でヒノキを探しまわってくれた人たち。
多くの人々の願いが込められた二つの木は、まるで一つの心柱になることが運命づけられていたかのように、見事な一本の大柱に木組みされた。
このことから、今でも「運命の木」として語り継がれているとのことです。
と、まあこんなお話しです。
そこで、4月18日(土)に御神木あった市川町で、『運命の木 再・現』イベントが開催されます。
この時に、西芯柱のレプリカを繋ぎ合わせるセレモニーも開催されます。
レプリカと言っても実際に笠形神社から出されたヒノキと、裏木曽から出されたヒノキを使用します。
そして、このヒノキは中津川で加工されています。
先日、このレプリカのお披露目が関係者にあり、私も見に行ってきました。
丁度、中津川市の市長も見に来ました。
写真の手前でしゃがんでいるのが市長です。
実際このレプリカ、繋ぎ合わせると8mにもなり、結構な迫力でした。
やはり、削ったヒノキは、綺麗で香りも良かったです。
本当は、18日の市川町で行われますイベントには私も行く予定でしたが、所用で行けなくなってしまい、とっても残念です。
興味のある方は、「再現イベント」と「世界文化遺産 姫路城」を見に行かれたらいかがでしょうか。
「住み心地いちばん 涼温な家」
名古屋営業所 大河内建詞